05月≪ 123456789101112131415161718192021222324252627282930≫07月

スポンサーサイト

--.--.-- (--)

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--:--  |  スポンサー広告

(6)料理コンクール・検定挑戦

2015.12.08 (Tue)

白菜、春菊、水菜、冬野菜は濃い色合いで個性が際立つ。鍋の中でぐつぐつ煮えるさまは、目を止めているだけで語らずとも心が満たされていく気がする。重ねてユズの一滴を加えたならば、その瞬間、口中に香気が散り、冬の到来が体中にしみわたる。
     *
 現在、一人鍋の冷凍食品なども出回るが、鍋を囲んだ食卓は、おなかを満たすだけでなく、湯気とともに笑顔が広がり温かい。私も大家族の大土鍋で作る水炊きが好きで定番だった。息子が3歳を過ぎ、保育園入園と夫の転勤を機に、田川市の教職員住宅へ引っ越し、小ぶりの鍋を買った。

 初めてのアパート暮らしに緊張がほぐれ、ほのかな安ど感があったのは確かだったが、いずれは再び中津原へ戻ることは当然であった。高台の部屋から見える風景に、日田彦山線を蒸気機関車がもくもくと煙を上げて走る。息子が大喜びで手をたたく。かけがえのない小さな幸せを感じ、背筋の伸びる思いがした。

 子育てをしながら、相変わらず香春町の仕事を続け、地域栄養士として、各所を巡った。教職員住宅でも料理教室グループができ、親睦を深め、時々息子を預かってくれる友達もいて、大変ありがたかった。
     *
 30歳を目の前にした時、誰もが考えるであろう人生の区切りの今後の方向性として、栄養と料理の基本を見直し、学び直すこととした。当時は管理栄養士制度がなく、料理上手な栄養士をめざし、特徴と個性を身につけたいと考えた。

 仕事としてだけでなく、家庭でも役立ち、楽しめる挑戦として、料理コンクールに応募し、東京の女子栄養大学のスクーリング(検定短期集中講座)を受けることにした。料理コンクールはアーモンドやトマトなど企業の商品普及の一環だった。カリフォルニアやイタリアなどへの招待旅行という大賞に夢をはせるのが楽しく、レシピの案を練った。

 全国から応募が多数あるコンテストの大賞などとれるはずもなかったが、幸運にもどちらも入選し、アーモンドセットや当時まだ珍しかったイタリアントマトの詰め合わせが送られてきた。十分だった。参加して意義を味わう経験をよしと考える。だが、家族や友人には「味見」で迷惑をかけたかもしれない……。

 息子が小学校へ入学した。私は29歳で田川市鉄砲町に調理台3台、助手1人の小さな料理教室「田川クッキングルーム」を開いた。息子の通う伊田小と教員住宅の、ちょうど中間地点を選んだ。

 貸事務所を改造した教室の黒板の上に、スローガンとする「食はコミュニケーション、温かい家庭は料理から」と実母の字で掲げた。たくさんの人が集まって下さり、グルメ時代を背景に地元とのつながりを感じた。

 その後、教室を続けながら奮起して、東京の女子栄養大学で文部省(当時)認定の家庭料理技能検定試験の2級を受験。幸い合格し、重ねて文部大臣奨励賞をいただいた。「万歳!」。息が止まるほどとは、このことだ。田舎者に夢が降り注いできた。
スポンサーサイト
16:05  |  朝日新聞筑豊さんぽ道連載記事
 | HOME | 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。