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(3)料理の知識、恋して吸収

2015.11.17 (Tue)

 私が高校3年の夏休み、家族にとっての大事件が起きた。忘れもしない8月4日、けだるい暑さの中で鳴る電話のベルに、かけ寄ると、警察からだった。オートバイの父とワゴン車が衝突し、父は病院へ運ばれたという。

 車には偶然、診療所の医師が乗り合わせていたにもかかわらず、父は右足ひざ下の切断手術を免れなかった。くしくも戦地でくるぶしに鉄砲玉が貫通した右足は、重なる因縁でひざから下を失ったが、大切な命は取り留めたのだ。手術の際は同級生が輸血に協力してくれた。

 父の入院生活は3年間に及んだ。大黒柱の働き手がいないのに、農業は何の生活の保障もない。当時の母が苦労する姿は高校生の私にもひしひしと伝わった。しかし、何の手も差し伸べられなかった。
     *
 小学校教師から大所帯の農家に嫁いだ母は父の入院中、家族と田畑を守った。細い身体に備わる大正女に救世の神が宿っているかのように、部材運搬機や草刈り機を使いこなした。車の運転免許証も持たず、自転車すら乗れなかった人なのに……。

 小学6年だった弟は早々に母とともに、田んぼ仕事をし、近所の人の共感を呼んでいた。60代後半だった祖母も大奮闘し、やがて父が義足をつけて退院してきた。

 どうにか苦難を乗り越えた21歳のころ、私の心の支えとなる人の存在が傍らにあった。7歳の年齢差に豊かな人生経験を感じ、何事も教えてもらった。小倉のレストランではヒレカツステーキの横にナイフとフォークが並んだ。ただただ緊張し、恥ずかしかった。

 彼は手順をやさしく、わかりやすく教えてくれた。それからも「天ぷら屋」「寿司(すし)屋」では、カウンター越しに板前さんの手元が見える場所に座り、対話から料理の知識を吸収した。エビの天ぷらの尾と一節だけ衣をつけぬ理由、巻きものの寿司飯の広げ方と両端の残し具合、キュウリの松笠切りはこの時に覚えた。

 後藤寺駅近くの平和食堂の「ホルモン鍋」を食べさせてもらった時の衝撃は忘れられない。匂いは強烈だが、味は未知のものでうまい。農家の我が家ではホルモン料理が食卓に並んだことはなかった。体育教師の彼はなぜか食に詳しかった。未熟だった私の食の知識や経験を鍛えてくれたのが、将来の夫となる彼だった。
     *
 120床の病院栄養士としての仕事は、治療食の献立に悩み、五右衛門風呂を思わせる回転釜は腕の筋力をポパイのようにつけた。だが、料理力は不足し、理想の白衣は汚れ、先輩の手が魔法の手に見えていた。

 時代は東京オリンピック後の高度成長期で、グループサウンズの曲が流れ、テレビでは料理番組の放送も始まった。カルチャースクールの料理教室は大盛況で、街行く人々の中に肥満者の姿を見かけるようになった。

 私も広い範囲で「食」をとらえ始め、テレビの情報番組の先駆けである食巡りのリポーターも経験した。若さをはじけさせる青春は今も心の奥で温かく残る。
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13:52  |  朝日新聞筑豊さんぽ道連載記事
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