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(1)原点は農、恵みの食卓

2015.11.03 (Tue)

秋は紅葉と月が美しい。オオカミは満月の夜、月に向かってほえるらしいが、私も秋が巡り来ると、血の騒ぎを覚える。10月生まれで、年を重ねるたびに亡き両親への思いと感謝、そして田舎育ちのため、実りの収穫に期待するのだ。
  *
 主宰する料理教室の食材が深く濃い彩りに変わってくると、頭の中でクリや秋サバ、キノコ、かんきつ類などが舞い踊り、伝えたいレシピが浮かんでくる。ひとさまのおなかの虫を鳴かせてみたい願望は、温かい笑顔の食卓へつながることを信じて、長年続けている。

 私は、川崎町田原原方(はるかた)で140アールの農地を持つ、稲作農家の長女として生まれた。戦後のベビーブームと旧三井鉱山田川鉱業所第4坑の全盛期が重なり、子供の数は学校も近所の遊び友達も大勢いた。

 団塊世代で世の中は終戦後、敗戦からの復興に日本中が一生懸命な時代だった。戦争は知らないが、父と一緒のお風呂や牛のえさにするレンゲ草刈りのあぜ道で、父はよく悲惨さを語った。日頃の無口がうそのように言葉が口をついて出てくる。

 父は激戦地ビルマ(現ミャンマー)からの数少ない生還者だった。私の生まれる2年前まで戦場で、陸軍兵として戦い、死への恐怖と飢餓という地獄のような体験をした。仲間を失い、自分は生きて帰っても苦悩が続き、重い記憶の塊を抱えていたからだと思う。

 そんな戦争体験から「生きる」ことは食べることとして、また、13人となった大家族の長として、強く厳しく懸命に働き、常に凜(りん)としていた。

 屋敷内に祖父が植えていた梅、グミ、ミカンに加えて、私の誕生記念樹に富有柿4本、妹はブドウ、待ちかねた男の子の弟の時は、ポポーという香りの強いバナナに似た甘みの南国フルーツだった。

 戦地で味わったという珍しい果物の苗や種を、育苗会社から取り寄せをして、みんなに食べさせ楽しんでいるように見えた。

   *

 米や野菜はいかにして反当たりの収穫量を増やし、味が良くなるか、肥料や土壌の研究をしていた。

 県の出先機関、農業改良普及センターの指導員や農協の方々が我が家に出入りしていた。父と一番仲の良い中元寺のおじさんは、農園を経営する京都大卒の知識人で、やさしく、いつもスイカ、梨などたくさんいただいた。

 おかげで13人の大家族の食卓は、農の恵みが多く並び、母と祖母は農作業の後も忙しく台所に立っていた。

 現在、大型商業施設が立ち並ぶ田原平野では米の裏作に三池高菜の栽培が盛んだった。炭鉱労働者たちがその漬物や「高菜炒(い)り」という高菜漬けの油炒めを好んで食べたため、消費が拡大したのだ。ご飯が何杯も進み、素朴な常備菜になる。

 祖母は唐辛子をピリッときかせ、母はカツオ節やゴマを入れて甘い味に、同居していたおばは、生高菜をゆで、冷水に浸してあくを抜き、2~3センチに切って絞り、黄身酢(きみず)あえにした。鼻にツンときて子供心に少し大人になった気がした。


   
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13:42  |  朝日新聞筑豊さんぽ道連載記事
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