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桜花とジャンボいなり、慈しみの風景(思えばスローライフ、スローフードだった・・・)

2011.04.10 (Sun)

 農家の大家族で育った私は、季節ごとの風の香りを敏感に感じるようになりました。
特に田おこしの土の匂いが漂う桜の頃は、思い出すと今でも心がほっこりする情景です。

 私と妹は小学生、幼い弟に両親、祖父母、おじ、おば達と家から一番近い桜の名所へ出かけました。
田川市猪の国大法山と言う、鬼子母神伝説の残る天慎寺付近です。
お酒が飲めない(弱い)家族の楽しみは、食卓を桜の下に移して気分転換をし、農繁期にむけて〝がんばるぞ〟と楽しい家族の会だったようです。
 昭和30年代のお弁当は大変地味なものでしたが、家で収穫したものの野菜、シイタケの煮込み(博多ではがめ煮、全国では筑前煮。煮込みがなまって〝にごみ〟と言います。
北九州、筑豊(飯塚は博多と同じ筑前なので同じ筑豊でもひと山越えるとがめ煮といいます)田川、京築〔豊前の国〝小笠原〟より〕)とたかなの油炒め(高菜。今3月の時季が収穫期です。田川、小倉南区が産地です)や卵焼(卵。鳥をかっていました)。
そして何個も並ぶ大きな大きないなり寿司。
我家独得の母が作るいなり寿司は、みそ汁用の四角揚を半分に切って三角にし、味付けしたものでとても大きいのです。
今ではジャンボいなりと言われどこにでもありますが、当時の私はいなり寿司とは大きくむっちりしたものだと思いこんでいました。後日、遠足や運動会で周りの友達のお弁当に入っているかわいい小さないなり寿司を見た時、驚きと不思議さと、そしてはずかしさを感じたことを覚えています。
 母は小学校の教師から大きな農家に嫁ぎ、その苦労は計り知れなく、幼い私達に理解出来るはずもありませんでした。
田舎の小さなお店には四角揚しか売っていなかったのと、大きく作れば1つ2つで、お腹が太るだろうと言う、作り手側の高能率的目的もあったようです。
 はちきれそうな母のいなり寿司は家の田んぼの米のごはんです。
自然と大きく目を見開いて食べます。
ほんのりと甘くおいしい鼻が花から体中を通り抜けていきます。
目の前をはらはらと散る桜、子供心には美しいと思うより、「花より団子」食べ負けまいと一生懸命で汗がにじむほどでした。
 そして終宴の頃、家族の円座はほんの一口のお酒でじょう舌になった父と祖父が代わるがわるに鬼子母神伝説の昔話を語りはじめます。子供をさらって食べてしまう鬼おんなに戒めとしておしゃか様がその鬼の子供を隠し我が子のいなくなった気持ちをさとらせたそうです。その鬼は深く反省して子供を大切に守る神となったと言う伝説です。
私達子供は母にしがみつきます。
かすかに化粧のおしろいの香をりがしていて安心感が沸いたひと時でした。
 遠い昔、なつかしい家族と春の光の中、桜花と母の大きないなり寿司、今もささやかに料理研究家を続けている私の原点かも知れません。
 現在、母は要介護Ⅱの認定で87歳。
父は90歳で同居する弟家族と共に母の介護を温かく一生懸命続けています。 
天慎寺は昔話と共に存在しますが、桜の木々は道路などの整地の為切られなくなっています。
その近くの山中に「猪位金の大やまざくら」が代わりに春を美しく告げてくれていたのですが、これもH18年 樹がさけて田川市の文化財指定からはずれました。
新芽が出ていて又、将来楽しめるかも知れません。
        
sakura(NHK北九州 4/8「さくらの思い出」内で一部放送)
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